名古屋から40分で行けるレトロなまち、
今も残る古き岡田の文化や街並

山車蔵と山車

山車蔵と山車

鞘倉と山車

<鞘倉と山車>
鞘倉は、山車本体を収める倉のことで、山車は収まる程度に解体されて収められています。里組の鞘倉は種徳寺地内、中組の鞘倉は毘沙門天地内、奥組の鞘倉は阿弥陀堂地内にあります。
寛文4年(1664)には村社祭礼は馬で行っていましたが、安永5年(1776)には、3組の山車が引き出された記録があります。
それぞれの会所では、木偶や笛、太鼓の練習が子供たちも交えて行われています。

<奥組の山車「風車」>
屋根部には鶴と松、前棚部には七福神の彫刻を施し、水引幕には龍の刺繍、追幕には牛若丸と天狗の刺繍があります。上山の上下する方式は中組・里組のような滑車によるものではなく、人力に頼る古い形式です。山車の名称についても古い名称が墨書によって明らかになるなど他の山車よりも古い形式を伝えています。
下木偶:三番叟、春駒 上木偶:幸福木偶(文字を書く)、梅木偶(逆立ちをする)

<中組の山車「雨車」>
屋根部には龍、前棚部には鬼と狛犬の彫刻が施されていて、龍の刺繍の水引幕を飾ります。山車の製作者や、彫刻師・塗師・絵師など、文化11年(1814)の墨書があります。独自のからくり人形上演のために適した形態を伝えていて、他の山車に比べ形は大きく重いため、梶人が16名必要です。
 下木偶:三番叟、尾弥間、弥津志 上木偶:返り木偶(楽人)

<里組の山車「日車」>
屋根部には鳥・松、中山部には鳳凰と狛犬、前棚部には龍・虎・仙人などの細やかな彫刻が施されています。堂山柱の墨書から里組には元禄年間(1688~1703)から山車があり、三度にわたって新造していることが伺えます。堂山の上に付く上山を上下する方式は滑車による方式が使われています。
下木偶:三番叟、参社女、いっこんしゃ 上木偶:悪源太平治合戦記(牛若丸、天狗、清盛、鷲塚平内、㐂平治)

  • 奥組山車蔵
    奥組山車蔵
  • 奥組山車(風車)
    奥組山車(風車)
  • 中組山車蔵
    中組山車蔵
  • 中組山車(雨車)
    中組山車(雨車)
  • 里組山車蔵
    里組山車蔵
  • 里組山車(日車)
    里組山車(日車)
  • 山車の組み立て
    山車の組み立て
  • 山車の組み立て
    山車の組み立て

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