お地蔵さま
岡田には路傍に立つ石仏(主にお地蔵さん)が実に沢山あります。しかし、石仏の役割はみな同じと言うわけではありません。良く見るとずい分色々なお姿をしています。お顔だってにこやかな顔もあれば、澄ましている顔もあります。
・純粋に信仰の対象となっている石仏、
・辻地蔵のように、道標の役割と道中の安全祈願を兼ねた石仏、
・死者の供養塔として、墓地や個人の敷地内に建てられた石仏、
などに分けられます。
昔は隣の村へ行くにも地図がないので、道標や辻地蔵があることで大助かりでした。文化6年(1809)に始まった知多四国88カ所巡りがずい分と盛んであったことが分かります。
平成12年の旧大同高校知多分校の調査では、石仏・道標が68体あると報告されています。
名前の付けられたお地蔵様もあります。
〈お徳地蔵〉
建立した竹内喜一氏に尋ねると、「屋敷の周囲が道路になっており家を守るために二軒屋としてお堂を立てお地蔵様に入居してもらった。開眼供養の折、御嶽さんが『このお地蔵さんは、お徳地蔵さんだね。』と言われたので我が家ではそうお呼びしています。」とのこと。紅を唇に引いたお地蔵様は滅多にありません。弁財天などを除いて、仏様は普通男性として造られています。しばらくして、道行く人や当時まちに沢山いた女工さんたちが気づき、話題を呼びました。
〈平兵衛地蔵〉
遠い昔の御先祖が「死んだら海の見える場所に葬ってくれ」と言われ今のところへお地蔵様を祀つり代々供養してきました。もとは、お堂はなかったですが、二代目梅吉さんがせっせと拝んでいるうちに商売が順調に伸びたので、お地蔵さんのお陰とお堂を立てたとのこと。三代前のおじいさんが、平兵衛だったので、平兵衛地蔵と呼んでいます。
〈五右衛門地蔵〉
昔々、酒飲みの五右衛門さんが、年老いたある日「今日、俺は生きながらこの穴に入って極楽へ行こうと思うが、鉦の音が止まったら往生したと思ってくれ」と言い残して、一升徳利を抱えて鉦を鳴らしながら穴に入った。それを供養するためお地蔵様を祀ったそうな。このお地蔵様に触ると麻疹にかかると言い伝えられています。