岡田橋
小学校の校歌にもその名が唱われている石小川は、岡田のまちを東から西へと縦断して流れる日長川の通称で、昔からまちの人々に親しまれています。その昔は、愛砂川(あさごがわ)という名前であったといわれています。岡田の旧道に入る橋が「をかたはし」です。現在の石橋に変ったのは明治38年で、それまでは木の橋で、奥組の山車が重くて通れないため分解して祭りの会場へ運んだと伝えられています。
海渡りにある石橋は、凱旋橋です。橋には、架橋完成の年月が、明治38年9月と刻まれていて、この年月は、日露戦争に勝利し、ポーツマス条約を調印した年月と一致します。つまり、日露戦争勝利の記念橋というわけです。岡田では、橋の完成以降、出征する兵士はまず神明社で武運長久を祈り、この橋を渡り、大勢の町民が「山の田」まで見送りました。その後は近親者とともに古見駅へと向かったのだそうです。
海渡りにある石橋は、凱旋橋です。橋には、架橋完成の年月が、明治38年9月と刻まれていて、この年月は、日露戦争に勝利し、ポーツマス条約を調印した年月と一致します。つまり、日露戦争勝利の記念橋というわけです。岡田では、橋の完成以降、出征する兵士はまず神明社で武運長久を祈り、この橋を渡り、大勢の町民が「山の田」まで見送りました。その後は近親者とともに古見駅へと向かったのだそうです。