江戸時代の初期、慶長11年(1606)日長郷の奥・中・里の3つの村が統合され、岡田村が誕生しました。 当時の人口は700人、戸数146戸、石高は689石。農家では農作業の合間に副収入として機織りが行われていました。享保年間(1716〜35)になると、岡田村の「中島七右衛門」と「竹内源助」が江戸の木綿買継問屋株(鑑札)を取得し、知多木綿の販路を全国に拡げました。
明治25年頃から動力織機が輸入され、工場生産の時代をむかえました。明治32年には、岡田の「竹内虎王」が動力織機の特許を取得し、生産向上に力を注ぎました。
昭和4年に新道ができ、木綿工場や商店が増え、街の姿が大きく変わりました。
昭和30年代まで知多木綿生産の中心として、知多半島の生産の70%を取り扱っており、最盛期には3000人もの女工さんが働き、芝居小屋”喜楽座”なども建てられ、賑わいをみせていました。県外からの女工さん達が故郷に仕送りや、便りを送る郵便局が明治35年に建てられました。現在も当時の姿で営業をしている建物では、県内最古級の郵便局です。(平成25年、国の登録有形文化財に登録)
毎年4月の春祭りには、奥組、中組、里組の3台の山車がお祭り広場に引き出され、木偶やからくり人形の秦納が行われます。
観応元年(1350)開基の慈雲寺、岡田神明社、知多岡田簡易郵便局、木綿蔵ちた、料理旅館 枡磯など歴史が息づく街です。